ポンペ病は約4万人に一人の割合で発生する遺伝病です。
筋の緊張低下・全身の筋肉虚弱・肥大型心筋症・哺乳困難、発育不良・呼吸困難・難聴等の症状が出た生後1ヵ月の乳児を仔細に観察したオランダのポンペ医師が1932年に報告したのでこの名がつきました。
予後は非常に悪く、産まれてきた子は長く生きる事が出来ません。
治療の手段の無かったポンペ病ですが2006年にGenzymeと言う会社が初の薬を開発し、世界で使われるようになりました。
このお薬、ポンペ病で苦しむわが子を救おうと親が必死で作り上げたもので、お話は映画にもなりました。守るものがあると人間ここまで強くなれるのか、とか、何でも諦めたら終わりだなァ、と感じた作品1。
遺伝性筋疾患
グリコーゲンはエネルギーとして摂取した糖類を一時的に保存しておくための高分子です。だから頻繁に出し入れ(代謝の事です)が必要です。
そのグリコーゲンを分解し、貯めたエネルギーを使う時に必要なのが酸性αグリコシダーゼ2と言うグリコーゲンを分解する酵素。
それが欠失してしまっているが故にポンペ病の患者さんではグリコーゲンが溜まり続けてしまうのです。
ヒトの遺伝子は二倍体で構成されていますので、例え遺伝子の一部が欠損していたとしてもお父さん由来かお母さん由来のどちらか片方がちゃんとしていれば病気には成りません。こういうのをヘテロ接合体と呼ぶのでした。
でもヘテロ接合体のヒト同士で結婚した時、4分の1の確率で全く酵素の無いコドモが生まれてしまうのです。欠失した遺伝子が二つ揃ってしまう事もあるのです。
この様に必要な酵素ができないために発症してしまう病気は他にもあり、糖質や糖脂質の分解を行っている酵素類が欠失している物を特にライソゾーム病3と呼んでいます。
例えば、ゴーシェ病4、ファブリー病5、ニーマン・ピック病6、クラッペ病7、GM1ガングリオシドーシス8、ファーバー病9等、欠損している酵素により病名や症状が異なりますが希少な疾患が30種類程知られています。
その中でも特に患者さんが少ないのがポンペ病です。日本では2001年に行われた調査で29症例が報告されているだけでした。
呼吸のための筋肉も動き辛くなりますので人工呼吸器をつけて暮らさなければなりません。
さて、この病気を治療しようとしたらどんな方法があるかは割と簡単に思いつきます。
ちゃんとした酵素タンパク質が出来ないのだからそれを何らかの方法で補ってあげれば良いのです。酵素補充療法と言います。
現在は実用化され薬剤を2週間に1度点滴で投与する方法が2007年から日本でも始まりました。
酵素補充療法
一言で簡単に酵素補充療法と言ってはいますが、実験室レベルで酵素タンパク質を発現させてネズミに注射するのとは訳が違い、酵素を製剤化して実際に臨床で使用できるようにするためには気の遠くなるような努力が必要になります。
例えば遺伝子工学的に培養細胞に目的の酵素を発現させたとしましょう。
細胞内に発現している目的酵素を、その他のタンパク質分解酵素などに分解されないように安定して抽出する方法を見つけ出し、しかも、ウイルスや細菌、その他の不純物の混入を一切許さない製剤を造るためには、精巧な技術と莫大な研究費が必要となります。
また、静脈注射とか筋肉内注射した酵素タンパク質が分解されずに目的とする臓器に辿り着き、細胞の中に取り込まれて機能するには剤型を工夫しなければなりません。
実際にヒトに注射したらアレルギーを起こしてしまう可能性だってあります。
ヒト由来の酵素タンパク質と言えど、発現にはヒト以外の細胞を使う場合もありますし、細胞の増殖に必要な血清はウシ由来ですから異種タンパク質の混入は否定できないのです。
こうしたハードルをいくつも越えて行かないとFDAとか厚生労働省が認可する医薬品になりません。
莫大な投資をして研究開発しても、結局はゴールに辿り着けない場合もあります。その時は会社自体が倒れかねません。
ですからそのクスリを造るためには壮絶なドラマがあったのです。
小さな命が呼ぶとき
2010年夏に公開された映画『小さな命が呼ぶとき』10は実話を基に製作された作品です。
オレゴン州のポートランドに住むクラウリー夫妻には3人の子供がいました。
その内8歳のメーガンと6歳のパトリックはポンペ病と診断されており、どこへ行くにも人工呼吸器をつけて車椅子移動しなければならない状態です。特にメーガンは呼吸苦が酷く、心機能の衰えで度々蘇生処置を受けていました。
日に日に全身の筋力が衰えていき、もって余命も数年と医者に見離されてしまいます。
意を決したクラウリー夫妻はポンペ病の専門家、ネブラスカ大学のストーンヒル教授を訪れ薬の開発を依頼します。返って来た答えは「そんな馬鹿な事に金を遣わず、残り少ない時間を子供たちと過ごしなさい」という物。
他人から見ればしごく真っ当な考え方だと思います。
でも、クラウリー夫妻は諦めませんでした。
国民皆保険が無いアメリカでは職が無くなれば高額の保険料が払えなくなり、子供達が医療を受けられなくなる事を意味します。
でも心配する同僚達の説得を振り切って会社を辞め、患者会や知人を通して当座に必要な運転資金を集め、ストーンヒル教授の説得を始めました。
投資会社にはポンペ病の治療薬の必要性や、マーケットは小さいけれども一生遣い続ける薬なので利潤は追求できる事を力説しプロジェクト始めるための資金調達に成功します。
こうして造った会社ではストーンヒル教授の下、何十人もの若い科学者が雇われて酸性αグルコシダーゼ産生細胞からの酵素抽出研究が始まったのです。
当初はネブラスカの何も無い原野に建てたプレハブの研究所ででした。
研究は順調に実を結び、ヒトでの臨床試験を開始するためには更に莫大な費用がかかることからシアトルにある製薬会社に身売りしてその後の製剤化が実施される事になりました。
実際の治験では、会社関係者の身内は利益相反にあたり、正しい評価が出来ない事からメーガンとパトリックの参加を断られてしまうと言う悲しい紆余曲折はあったものの、2006年には正式にFDAに認可されたのです。
クラウリー夫妻が決断し行動を起こしてから8年後の事です。間に合いました。
製品名をマイオザイムと言います11。
この映画のパンフレットにはクラウリー一家の2009年秋の家族写真が載っています。二人の子供は喉に呼吸チューブが繋がれているものの、屋外で車椅子に乗って写真に納まっています。
クラウリー夫妻が諦めずに戦ったからこそこの写真が撮れました。
難病のコドモを抱えたお父さんが製薬会社まで作って子供達の命を支えた。そしてクラウリーお父さんは現在でも別の製薬会社で次世代のポンペ病治療薬の開発をしているそうです。
お父さんがもしクラウリー氏の立場だったとしたら果たしてここまでやれただろうか?ちょっと考えさせられたお話です12。
お父さん解説
- ポンペ病の他にも遺伝病で苦しむ患者さんは世界中にたくさんいるが、どの病気も治療手段の開発が難しい。 そんな中、ポンペ病のおクスリ開発の成功はその他の希少疾患に苦しむ患者さんやご家族にも希望の光を与えた。その意義はとても大きい
- 酸性αグリコシダーゼ:acidic alfa-glycosidase
- ライソゾーム病:lysosome disease
- ゴーシェ病:Gaucher’s disease
- ファブリー病:Fabry’s disease
- ニーマン・ピック病:Niemann-Pick disease
- クラッペ病:Krabbe disease
- GM1ガングリオシドーシス:GM1 gangliosidoses
- ファーバー病:Farber disease
- 『小さな命が呼ぶとき』映画の原題は‘Extraordinary Measures’
クラウリーお父さんはブレンダン・フレイザー、ストーンヒル博士はハリソン・フォードが演じていた - マイオザイムは50㎎のバイアル1本が9万3994円。体重1㎏当たり20㎎を隔週投与しなければならない。体重20㎏のコドモならば1ヵ月で16バイアル、すなわち月に150万円もお薬代にかかると言う。非常に高価である
- きっとやります。