ハエ?

遺伝って知ってる?

ハエと聞くと汚いものにたかったり、いらん病気を媒介したりとあまり良いイメージはありません。

トイレ‥で見るイエバエを思い浮かべるのでそうなってしまいますが、生物学の世界でハエと言うと99.9%ショウジョウバエ(ちいさいハエ)の事です。10日位で次の世代がわんさか生まれますので、交配して遺伝学の実験でも大活躍。

よく知られているのがモーガン先生でしょう。ハエの唾液腺染色体の解析や遺伝子の地図を計算で求めたヒトでして、弟子達を含めてノーベル賞受賞者は合わせて8人にもなります。

生命の事を知りたいと思うとき、適切なモデル生物に巡り会えるかどうかで成否が左右される事があります。ショウジョウバエはその良い例。

生物学の歴史を見渡すと、エンドウ豆、テトラヒメナ、トウモロコシ、酵母、大腸菌、マウス、線虫、等様々なモデル動物を使って色んな角度から生命の仕組みが明らかにされて来ました。

それは地球上の生命は元をたどればみんな同じだからなのです。

ちいさいハエ

英語では俗にfruit fly(果実蝿)。研究に用いられるのはキイロショウジョウバエで学名をDrosophila melanogasterと言います。

真っ赤な眼を持つ事や、お酒に好んで集まる性質から、赤い顔の酒飲みの妖怪、猩々(しょうじょう)1に因んで名前がつけられました。

この虫が遺伝学の実験に使われるようになったのは飼い易く増え易い、の他にも大きな理由があります。

彼ら双翅目の幼虫の唾液腺の中には他に比べて100以上~150倍の大きな染色体が詰まっていまして、とっても観察が容易なのです2

唾液腺の中になにやら縞々を持つ変な構造が見て取れる。これは何だろう?と疑問に思わなければただの縞々でしかないのですが、この染色体を生物の遺伝と絡めて考えたヒトがいました。

トーマス・ハント・モーガン先生と言いまして、1900年代初めの頃のお話です3

連鎖地図

1900年代初めと言えばメンデル先生の遺伝における優性の法則・分離の法則・独立の法則が再発見された頃です。遺伝子の実体がDNAであると判るのはこの頃から50年先で、遺伝子の存在すら疑問視されていた時代。

モーガン先生はキイロショウジョウバエの眼の色・体の色・羽の形・剛毛の種類などに関する多数の遺伝子について連鎖の有無を調べ、これらが4つのグループに分けられる事を明らかにしました。

連鎖と言うのは異なる形質の遺伝子どうしが一緒に子孫に伝えられていく現象です。そして唾液腺染色体が4本認められると言う事実と考え合わせて、遺伝子は染色体の上に載っていると考えました。

次に1つの連鎖群、すなわち彼が一つの染色体上に載っていると考えた遺伝子間の位置関係を組替えの発生頻度から割り出しました4

遺伝実験ごとに異なる組合せの3つの遺伝子の相対的な位置関係について割り出していく根気の要る作業でして、3点交雑法と言います。これを何回も繰り返してたくさんの遺伝子の組合せについて仮想の位置関係をどんどんと地図にしていきました。

こうしてできたのが、モーガンの連鎖地図です。

染色体地図

モーガン先生の凄いのはここからです。連鎖地図とハエの唾液腺染色体を比較観察し、染色体の一部欠損が遺伝的異常と相関する事を見つけたのです。

染色体には色素に良く染まる5000以上の縞々模様があり、それら縞々の数や位置は染色体ごとに一定です。

彼は「この縞々が一本消えるとこの遺伝子が失われている。」染色体上のどこにどんな遺伝子があるかを明らかにしてしまいました。それまで架空の存在であった遺伝子を実在する器官である染色体に特定したのです。

遺伝子の物質としての実態を確認し、それを物質として研究する遺伝学の道筋を開きました。

この様に遺伝子に関連した部分での多くの知見は、ショウジョウバエ研究で最初に明らかにされてきました。遺伝的距離を指し示すcM(センチモーガンと読む)と言う単位はもちろんモーガン先生に因んでつけられたものです。

ハエ遺伝子

ショウジョウバエの突然変異体に関して、最初に着目された突然変異体は白眼です。この表現形5に着目して交配実験された結果、最初に決められた遺伝子はwhiteと名付けられました。伴性劣性遺伝です。

これ以外にも連鎖地図の作成にはたくさんの突然変異体が必要でした。でも、突然変異が生まれてくるのを気長に待つのは、いくら世代交代の早いハエといえどもなかなか大変です。

後にモーガン先生の弟子の一人は、効率良く突然変異体を得る方法を見つけました。X線です。

遺伝子にキズをつける働きを持つものを変異原6と言いますが、人為的に突然変異を引き起こす事が報告されたのはX線が最初でしょう。やはりショウジョウバエでの研究が引き金になっているのでした。

現代では放射線だけでなく、摂取された医薬品や食品添加物、あるいはタバコの煙も変異原となる事は周知の事実となっています。

モーガン先生の時代から100年近く経ちましたが、その間に遺伝子の本体はDNAと言う簡単な分子である事や、それの複製の方法、遺伝の仕組み、ゲノム塩基配列の決定など飛躍的に知見は拡大しました。

ショウジョウバエも全ゲノムがシークエンスされ、ほぼ全ての遺伝子に名前が付いています7


お父さん解説

  1. 猩々:中国に由来する伝説上の妖怪らしい。日本ではオランウータンの事を示す和名になっていたりもする
  2. 本文の記載はある高校の受験問題集からとってきた。最近の中学生はこんな事まで勉強しているらしい
  3. 唾液腺では染色体は複製されるのだけれど細胞分裂が起こらないために染色体がどんどん太くなっていく事が理由。それはずっと後になって判ったお話
  4. 配偶子を作る時の減数分裂で相同組替えが起こる事を別の項で説明した
  5. 表現形:phenotypeフェノタイプ
  6. 変異原:mutagen
  7. 名前って最初に発見して論文投稿したヒトが決めて良い。いくつかご紹介。
    pokkuri/早死にする遺伝子(ポックリ逝く)
    bose/剛毛が生えない(坊主)
    satori/メスに関心が無い(悟り)
    geko/お酒に群がらない(下戸)
    magonashi/子供が不妊(孫なし)
    musashi/剛毛が2本(二刀流の宮本武蔵)
    「ハエ好き」の日本人研究者にはシャレのきついヒトが多いので、遺伝子名には面白いものがたくさんある
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