ゲノム

遺伝って知ってる?

ゲノム1。ある生物をその生物たらしめるのに必須な遺伝情報の事です。

何やら辞書の様になってしまいましたが、その昔こう定義してこの新しい言葉を使い始めたヒトが居るからです。

1920年にドイツ、ハンブルク大学の植物学者ハンス・ウインクラーは遺伝子(gene)の後ろに、全ての事・全ての物・総体を指し示すラテン語であるオーム(-ome)2を繋ぎあわせて、全ての遺伝情報をジーノーム(genome)と呼びました。

現在ではジェノムと発音し、日本語ではゲノムと表記します3。でも、遺伝子の物質的本質が明らかになったのは、それからカレこれ30年以上も後の事なのです4

ジーン

『カエルの子はカエル』今回のテーマを端的に表現するとこうなります。また、トンビから鷹が生まれないのは、何かしら遺伝子5らしき物によって子孫に性質が伝わる事を昔のヒトも感じとっていたからに他なりません6

この事は、ラテン語で源を意味するgen7から遺伝子の事がジーンと名付けられていたにも関わらず名付けた時点ではそれが何なのかさっぱり判っていなかったと言う事からもうかがえます。

メンデル先生もエンドウ豆が「しわしわ型」か「つるつる型」か、「黄色型」か「緑色型」か、「背が高い」か「低い」かと言った7つの形質に着目して「優性の法則」「分離の法則」「独立の法則」と呼ばれる「遺伝の法則」を発見し、遺伝子の存在8を予言しました。9

その後、細胞の中の核に存在する核酸と言うネバネバした糸の様な分子、デオキシリボ核酸(DNA)10が遺伝子の本質を担うと判りましたが、それは今から考えてもそれほど昔の事ではありません。たかだか60年前の事です。

1952年にアルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスによる遺伝表現形の転移実験の結果が論文に掲載され、ファージ11の遺伝物質がDNAである事がほぼ確実視されました。

1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNA構造のモデルが示され12、DNAは生体内で二重らせん構造をとっていることを示す論文が発表されました。

そして1964~1966年、ニーレンバーグ、フィリップ・レーダー、ヤノフスキーらによって、トリプレットDNA13がタンパク質をコードしている事が明らかにされ、全ての遺伝暗号が解読されました。

今やDNAの二重らせん構造が遺伝子の本体である事は、気の利いた小学生なら知っている時代です。

ゲノム

ヒトの体を形作るタンパク質の全ての設計図が核の中に詰まっている事、また、我々は二倍体であるので、体細胞には二つの遺伝子のセットがあるのでした。このセット一個分がゲノムです14

タンパク質の設計図情報はDNA分子の並び順の中に隠されています。

ヒトの場合、ゲノムサイズはDNA分子の長さとして30億塩基対15、細胞の中にコンパクトに折りたたまれているDNAを全部伸ばすと約2mになるそうです1617

DNAのリン酸と糖(デオキシリボース)の部分は共通で、塩基部分は、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類が使われており、DNA配列と言えば塩基の並び順の事を意味します18

ヒトのゲノム全体ではこれが30億文字繋がっている訳です。

なお、塩基対19と言うのは、DNA分子の長さを示す単位なのですが、なぜ対(pair)と言う言葉で表すかについては半保存的複製の意味が判ると理解しやすいのでその時に譲ります。

さて、西暦2000年にセレーラジェノミクスと言う会社が実質的なヒトゲノム配列解読を宣言しました20

その後のゲノム研究は質的に変容し、それまで単一あるいは少数の遺伝子の発現制御や機能解析を対象とした手法からゲノム全体を俯瞰しながら網羅的に解釈する潮流が生まれます。

新しいゲノミクス21の始まりと言う意味で2000年以降をポストゲノムの時代などと呼びます。そして、網羅的解析を特徴とする研究分野からゲノム創薬22と言う概念も生まれました。

~オーム/~オミックス

遺伝情報と言うのは、細胞核の中にある核酸の配列情報の中に隠されているのでした。

この情報が実際の物質、すなわちタンパク質として働く様になるには、次の2つのステップを必要とします。

核の中にあるDNA配列情報は図書館に所蔵されている設計図の本だと思ってください。すごくたくさんの本があります。

大事な設計図ですので、直接これを使う事はしません。コピーを取ります。

このコピーを取る事を転写23すると言いまして、実際にはDNAの配列が、RNA24に写し取られる過程です。

写し取られたコピーを転写産物25と称し、転写産物の物質的本体であるRNAの事を、核の外へ情報を伝達する役割から、メッセンジャーのmを付けてmRNAと呼びます。

次に、コピーの設計図を元にアミノ酸を並べて組み立てます。この過程は翻訳(トランスレーション)26と言います。

真核生物では、mRNAは核の外に出て、リボゾームと呼ばれる細胞内小器官で配列を読み取られながら、タンパク質の発現27が行われるのです。

ポストゲノム時代を迎えて、ゲノム解析が網羅的解析を特徴とするゲノミクス研究に変容して行ったのと同様に、転写産物の総和をトランスクリプトーム28、翻訳産物の総和をプロテオーム29と呼び、網羅的に解析しようと言うプロテオミクス30と言う学問分野も生まれました。

一言で簡単に全部を網羅的にと書いてはいますが考えてもみてください。

ゲノム全体で30億の文字を取扱い、発現したタンパク質数千がそれぞれに機能発現し影響し合うのをまとめて観測し、それが生体反応の時系列の中で刻々と状態を変えて….と言うのを解析するとしたら尋常な情報量ではありません。どうしたってコンピュータに解析の大部分を頼る事になります。

オミックス研究では膨大なデータを効率良く収集し解析することが必須なため、生物学と大規模情報処理の融合としてバイオインフォマティクス31と言う学問分野も生まれました。

生物学をやるのにもコンピュータと情報処理技術が必要な時代になってしまったのです。生きにくい時代になりました。


お父さん解説

  1. ゲノム:genome
  2. 「風の谷のナウシカ」には、全編を通じて象徴的に「王蟲:オーム」と言う巨大昆虫が登場する/あれは「腐海の全てを統べる者」あるいは「腐海の全てを知る者」の暗喩なのである
  3. 大抵の場合、自然科学における新しい概念と言うのは「舶来モノ」。それを意地になって変な日本語に訳すから間違った概念が流布する事が往々にしてある。genome はそのまま「ゲノム」になって良かった
  4. 遺伝子の物質的本質が「核酸」だなんて言う簡単な分子だとは誰もが思ってもみなかった
  5. 遺伝子:gene
  6. コトワザ講座
    瓜の蔓に茄子はならぬ
    茄子の蔓には胡瓜はならぬ
    へちまの種は大根にならぬ
    Like father、 like son
    An onion will not produce a rose.
  7. 言語体系を超えて同じ意味のモノが同じ音で発声される例は世界中で見つけられている
  8. メンデル先生は 遺伝物質のことをpangen:パンゲンと呼んでいたが、全く人気が出なくて採用されなかった
  9. メンデル先生は7つの表現形表現形はフェノタイプ:phenotype と言う。(反対語の遺伝子形はジェノタイプ:genotype)
    エンドウ豆の染色体は7本あり、偶然にも全て別々の染色体上に有ることが後に判った。もし着目した形質の遺伝子が物凄く近い場所にあったならば『連鎖』遺伝してしまい、独立の法則は発見できなかったかもしれない
  10. デオキシリボ核酸:deoxyribonucleic acid:DNA
  11. ファージと言うのはバクテリアに感染するウイルスの事
  12. 物質の構造を明らかにする時に、X線結晶構造解析法と言う手法を使う。低分子化合物だけでなく、高分子のタンパク質や核酸でも純粋であれば「結晶」を作る事が可能であり、これに高エネルギーのX線をぶちあてて出てきた「回折像」(原子にぶちあたって曲げられたX線の様子)を検討すると原子の立体配置がわかる
  13. トリプレットとは塩基配列が3つで1セットを形成すると言う意味
  14. 2セットあるゲノムをまとめてゲノムと呼んでいるヒトもいる/その場合には1セットの事をハプロイドゲノム と呼んで区別している
    haploid:ハプロイドとは一倍体の事
  15. 30億塩基対 = 3G bp
    (3ギガベースペアーと読む)
  16. 伸ばすと約2mになるDNAがヒトの体を構成する60兆個の全ての細胞に同じモノが備わっている事に取り敢えず「ヒョエ~」と驚くべし
  17. 全ての細胞に同じゲノムが備わっていると言うのは例外がある/核が抜けて成熟する赤血球、ゲノムを1セットしか持たない精子・卵子、それから抗体を産生するために遺伝子組換えちゃうイムノグロブリン遺伝子
  18. アデニン:adenine:A、グアニン:guanine:G、シトシン:cytosine:C、チミン:thymine:T
    アデニン(A)とグアニン(G)は「プリン骨格」の一種。シトシン(C)とチミン(T)は「ピリミジン骨格」。RNAの場合にはチミンの代わりにウラシル(U)を使う
  19. 塩基対:base pair:bp
  20. セレーラジェノミクス創設者のクレイグ・ベンター博士は、当時誰もが不可能だろうと思っていた「ショットガンシークエンス法」でヒトゲノムの解読に成功した
    取り組み始めた時にコンピュータの能力が足りない事は誰もが知っていたが、その後2間でのコンピュータの発達をも視野に入れて計画全体を立案していた
  21. ゲノミクス:genomics
  22. ゲノム創薬:genomic drug discovery
  23. 転写:transcription
  24. ribonucleic acid:RNA
  25. 転写産物:Transcript
  26. 翻訳:translationトランスレーション
  27. 発現:expression
  28. トランスクリプトーム:transcriptome
  29. プロテオーム:proteome
  30. プロテオミクス:proteomics
  31. バイオインフォマティクス:bioinformatics
    お父さんはコンピュータがどうも苦手ですので、新しい概念に付いていくのが大変
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