免疫系がきちんと機能していれば、感染症にかかったとしてもいずれは回復します。もし、免疫系が無くなってしまう病気に罹ってしまうと感染症で簡単に命を落とします。
骨髄移植の際には一次的に免疫系がダウンしていますから、移植された骨髄が生着するまでの間は無菌室と言うところでレシピエントは暮らすのでしたね。
でも、免疫系が異常に活性化された状態と言うのもいただけません。自己免疫疾患とかアレルギーとか有難くない状態に陥ってしまいます。
両刃の剣なのだから、それを止める事もまた善し悪し。移植の時に臓器を生着させるために使用する免疫抑制剤というのは、恐ろしくそのサジ加減が難しくて、抑えたいけど抑えすぎると大変な事になってしまうのです1。
免疫抑制剤
臓器移植における問題点は大きく2つあります。一つはドナーの問題。そしてもう一つは移植後の拒絶反応の問題です。
臓器移植と言うのは命を救う有効な手段である事は間違いないのですが、他人の臓器を使う以上は免疫抑制剤が欠かせません。未来の医療としてはiPS細胞を使った自家移植も有り得ますが実用化はまだまだ先のお話です。
爆発事故で大火傷を負った少年時代のブラックジャックが級友の黒人少年2からの皮膚移植を受ける時の事を思い出して下さい。
現在でこそ免疫抑制剤としてサイクロスポリン、タクロリムス、アザチオプリン、メトトレキサート、メルカプトプリン、各種ステロイド製剤が様々な組合せで用いられる様になりましたが、当時としてはせいぜいアザチオプリンと古典的なステロイド位しか手段は無かったはずです。
そのような状態でも移植が成功したのは、実はドナーの少年とブラックジャックの間には血縁関係があってHLA型がとても近いというドラマが隠されていたか、本間丈太郎先生は真の天才で拒絶反応を押さえ込む新たな方法を既に確立していたかのどちらかでしょう。
タクロリムス
現在、臓器移植の際に用いられる免疫抑制剤としては、微生物代謝産物由来のサイクロスポリンとタクロリムスを中心とした多剤療法が用いられます。
タクロリムスは正真正銘のMade in JAPANのお薬です。アステラス製薬3の主力製品でして、腎移植・肝移植・心移植・肺移植・膵移植・骨髄移植・小腸移植・重症筋無力症・関節リウマチ・ループス腎炎・潰瘍性大腸炎等の治療に用いられています。
また、アトピー治療薬として軟膏もできています。免疫抑制剤だから免疫系の亢進で引き起こされるアレルギーにも効果があるのですね。
お父さんの学生時代、このタクロリムスと言うお薬は代表的な医薬品成功物語として授業で教わりました。当時、もう抗生物質は新たな機序のものが見つからなくなってきた時代です。
でも、微生物から取れる未知の化学物質の中にはまだまだ有用なものがあるはずだと信じて、探し方の発想を変えた結果見つけた物質だった事がすごい点でした。
また、免疫系を抑制する物質が見つかった事で免疫の仕組み、特にその生化学的な分子機構の解明に非常に大きな役割を果たしました。これは世界に誇れる成果です。
混合リンパ球反応
免疫担当細胞にはたくさんの種類があり、それぞれが役割を果たす複雑なネットワーク系で働いています。そして、そのネットワーク構築と情報伝達の中心的役割を果たすのが、サイトカインと呼ばれる物質である事が当時いくらか分かっていました。
各種あるサイトカインの中でもその活性が強烈なのは、インターロイキン2(IL-2)でして、受け取った細胞が芽球化して次々と分裂・細胞増殖するようになるのです。
ある系統のマウスからリンパ球を取り出します。そして別の系統のマウスから取り出したリンパ球と混ぜるのです。たったこれだけ。
リンパ球中のT細胞は自分と異なる系統の細胞と出会って怒り出し、IL-2を大量に放出します。
別の系統のT細胞も同様にIL-2を放出しますが、系統は違うとはいえ同じマウスです。試験管の中が大量のIL-2で溢れ返り、それに反応してリンパ系の細胞が爆発的に増殖します。
『混合リンパ球反応』と言い、放射性物質の3H-チミジンを一緒に入れておけば、新たに合成されたDNAの中に放射能が検出されますので、その増え具合で増殖の程度が分かるのです。
この時、いろんな化合物を放り込んで、リンパ球の増殖を止める作用のある物質を探します。たくさんの化合物の中から候補化合物を見出す最初のステップの事をスクリーニングと言い、この中で種(タネ)4としたのが微生物代謝産物でした。
様々な場所から採って来た微生物を培養し、その上清を次々とこの実験系にかけたのです。ある微生物の出す成分で、ピタリとリンパ球の増殖が止まりました。
見つかった物質の名前は、コードネーム・FK506です。これが後のタクロリムス。この成分を分泌する細菌は、筑波の山の中から見つかった事から、その後ストレプトマイセス・ツクバエンシス5と名付けられました。
FK506 Binding Protein
こうして見つかったFK506は、新規の免疫抑制剤として開発が進められました。でも、どうしてIL-2の分泌が抑制されるのか、標的細胞内の分子機構はまだ判らなかったのです。
まだ医薬品にはなっていないけれど画期的な化合物が見つかったと言うことで世界中の研究者が謎の解明に取り組みました。何か薬剤が作用するのであればその標的となるタンパク質等の標的分子があるはずです。
それを捜し求めた結果、あるタンパク質と特異的に結合することを明らかにしました。でも、そのタンパク質はそれまで正体が知られていなかったので名前がありません。FK506 Binding Proteinと名付けました。直訳すると『FK506にくっつくタンパク質』。
FKBPと略して呼ばれるようになりました6。
FK506と言う化合物が先に見つかったからこそこの名前になったのですね。おそらく別の発見のされ方をしていたら全く別の名前になっていたでしょう。
その後、細胞内でFK506と結合したFKBPは、カルシニューリン、およびとカルモジュリンと呼ばれるタンパク質群がカルシウムイオンと共同してNFATを活性化する場面を阻害する事が判りました。
NFATと言うのは、細胞内から核の中に移行して、IL-2の転写を活性化させる転写因子です。何を言っているか良く判りませんね。
丸めて言うと、免疫細胞の中で核DNAの設計図からタンパク質を発現させる段階に作用して免疫細胞がIL-2を作り出すのを遺伝子レベルで止めてしまうのです。
ですからIL-2を介した混合リンパ球反応が止まりました。このように遺伝子の発現レベルに作用する医薬品は劇的な作用を示すものが多いです。
魔法のクスリ/ステロイド
遺伝子のレベルで作用するお薬、これ以外にも実はみんなも良く知っています。ステロイドがそれです。これは脂溶性が高く、油でできた細胞膜を自由に通り抜けます。
細胞内に入ったステロイドは核内レセプターと呼ばれる転写因子に結合して、受容体ごと核内に移行しDNAに結合するのです。
体内の細胞が外の環境に反応する時、細胞内ではたくさんの遺伝子発現が起きています。ステロイドはこの遺伝子発現を強烈に改変するのです。
免疫細胞の炎症反応、すなわち各種炎症性サイトカインなどの遺伝子発現も抑制しますので、ステロイドは古典的な免疫抑制剤でもあります。例えばⅠ型とⅣ型のアレルギー反応が皮膚で起こるアトピー性皮膚炎などでは特効薬です。
でも、全身性投与では生体の持つ本来のステロイド産生を減らしてしまったりして大変使い方が難しいのも事実です。優秀な皮膚科医でないと使いこなせません。
事実、ステロイドの作用と副作用については良く知られているのでステロイド以外の抗炎症薬(NSAIDs)と言うカテゴリまで出来てしまいました。
薬と言うのは役に立つ毒であり、必ず良い面と悪い面が同居しています。免疫抑制剤やステロイドと言うのはその事を端的に表わしている代表例ではなかろうかと思います。
お父さん解説
- 免疫学の世界での大爆笑事件
皮膚移植に関する最先端を走るある大学で、ネズミ(毛が黒い)の皮膚に「ある処理」をしたら、その皮膚は別系統のネズミ(毛が白い)に見事に生着しました。
TOPジャーナルに写真つきで報告され、当時、拒絶反応を抑える画期的な方法だとして世界中の科学者がこぞって真似しました。でも他の人ではなかなかうまくいきません。
実はその大学でも、ある一人の研究者が移植をした時しか上手くいかないので、何か神業的な移植技術があるのではないかと思われ、弟子入りして手技を教わりに来る人たちが後を絶ちませんでした。
ある時、移植したネズミがちょっと汚れていたのをかわいそうに思った弟子がアルコールで拭いてやったら、移植したはずの黒い毛が真っ白になってしまいました。実はマジックで黒く塗っていただけという何ともお粗末なフェイクで世界中がだまされていたわけであります。当然その研究者は追放。
でも、ばれないとでも思っていたのだろうか? 不思議だ。 - 黒人少年:正確には黒人と日本人のハーフの少年であった
- アステラス製薬:昔は藤沢薬品と言っていた会社が創出。山之内製薬と合併してこの会社名になった。 商品名をプログラフと言い、塗り薬だとプロトピック、徐放性だとグラセプターが該当する
- 種:Seeds
医薬品開発における候補化合物の事はこのように「種」と呼ぶ - Streptomyces tsukubaensis
- 別に分子達から見れば、名前など有ろうが無かろうが必ずそこに存在している訳で、何かその機能や活性に名前が影響するハズもない。すなわち「名前」と言うのは人類の文化活動の成果として、あくまでも人間の都合としてのみ存在している