骨髄移植

何でも運びます

お父さんが、ある大学の研究室に間借りしていた頃、そこの大学病院1に昔の同僚が入院しているとの知らせを貰いました。

同じキャンパスの敷地内、歩いて2~3分のところに病棟があるので、お見舞いがてらヒョコヒョコと2年ぶりに会いに行ったら、着いた先が無菌室とガラスで隔てられた面会室。

聞けば、血液系の病気のため骨髄移植の待機中2。しかもその日の午後には移植を受けるという当日にぶち当たってしまいました。

お父さんの間の悪さは筋金入りですね。来てしまった以上「んじゃ、失礼」とも言えず、ガラス越しにインターホンでおしゃべり40分。

おそらくはクスリのせいで無くなっている髪を帽子で隠しているのも痛々しいし、入院している当人にしてみれば、それこそ運命の日な訳です。なんともはや、申し訳ない気分で一杯でした。

2週間以上も無菌室に閉じ込められていたのだから、「少しは気が紛れて良かったかもな」等と都合よく自分を慰めながらトボトボと帰宅。

しばらくして、移植は成功し退院したとの話を人づてに聞いて心からほっとしました3

骨髄

骨髄、英語ではbone marrowと言います。骨は中心までガチガチに堅い部分が詰まっている訳ではなく、内部はスポンジのような多孔質の形を取っています。

機会がありましたらラーメン屋さんでダシを取った後の豚骨を見てください。良く使うのは豚の大腿骨の部分でして、形が似ている事からゲンコツと呼ばれます。

ゲンコツの内部は結構スカスカなのが見て取れます。良質のタンパク質を多く含み、非常に良いダシが取れるのが特徴。コラーゲンも多く含んでいるので、長時間煮込むととてもまろやかな味になります。ここが血球系細胞の故郷なのです。

たくさんの孔の部分は骨髄液で満たされ、毛細血管が通っています。この骨髄液の中に造血幹細胞4と言う親玉がいて、せっせと分裂しながら赤血球・白血球・血小板等の血液細胞と、リンパ球やマクロファージ、肥満細胞等の免疫細胞を作っているのです。

だから、何らかの原因で骨髄の中で行われる造血系の働きが弱くなり、きちんとした血液細胞が出来なくなってしまったら大変。

血液中の白血球系の細胞がおかしくなれば免疫系が動かなくなり、赤血球が出来なければ重大な貧血に、そして血小板が出来なくなれば血が止まらなくなります。

良く聞くのが白血病5。血液のガンでして、ガン細胞ばかりが増えて正常な血液が作られません。その他にも、再生不良性貧血6、骨髄異形成症候群7、先天性免疫不全症候群8が特に重篤な骨髄の病気として知られています。

骨髄移植

こうした骨髄の病気は、骨髄移植に頼らざるを得ません。きちんとした細胞が作れなくなった自分の骨髄、すなわち造血幹細胞を捨てて、健常者からの造血幹細胞を替わりに入れるのです。実際

は骨髄提供者(ドナーと言います)の骨盤を形成する腰の骨(腸骨)から注射器9で骨髄液を抜き取ります。

ドナーは骨髄液採取の際には全身麻酔が施されますので、それなりに負担が高いのですが、レシピエントへは点滴で静脈内に骨髄液を入れるだけですので、普通の点滴と見た目は特に変わりません1011

ですが、骨髄移植ができるようになるには幾つも幾つもハードルを乗り越えなければならず、レシピエントにとってはまさに命がけの治療です。レシピエントは骨髄移植の2週間ほど前からその準備に入ります。

大量の抗ガン剤投与と全身への放射線照射を受け、自前の造血機能は徹底的に破壊し尽くされます。もちろん病気の骨髄が残っていたりしたらガンが再発するかもしれないし、新しく入る免疫系を受け入れなければならないからです。

この時、体内で増殖の早い細胞も抗ガン剤により同様に障害されますので、激しい吐気や全身の脱毛などの副作用に耐えなければなりません。

何よりも怖いのは、一切の血液系/免疫系細胞は、もう自前で作る事は出来ませんので、放射線と抗ガン剤の前処置をしてしまったら後戻りは出来なくなってしまいます。

当然、移植の前後はレシピエントには免疫は無く、どんな些細な感染症でも即命取りになってしまいます。だからHEPAフィルターで空気も無菌状態にした部屋で過ごさなければなりません。

無菌室から生きて出られるかどうかレシピエントは移植の前後を祈るような思いで過ごすのです。移植が完了し、拒絶反応も感染症も無く新しい血が作られ始めたのが確認されれば骨髄が生着したと言う事で成功。やがては社会復帰だってもちろんできます12

HLAと骨髄バンク

骨髄移植のハードルは、移植に到達する前に既に現れます。すなわち「ドナーがいるか?」です。

その際に重要なのが、ドナーとレシピエントの適合性という奴でして、これは白血球の持っている血液型で決まります。適合性が無いと、移植片対宿主病(GVHD)13と呼ばれる強烈な拒絶反応が起こる事が知られているため、移植ができないのです。

白血球の持っている血液型はヒト白血球抗原(HLA)型14と呼ばれ、主要なものだけでもHLA-A、HLA-B、HLA-C、HLA-DQ、HLA-DR、HLA-DP呼ばれる6つの遺伝子座があります。そして、これらがどの位一致しているかで適合性が評価されるのです15

一般的には適合するドナーを身内から探すところから始まるのですが、HLA型が一致する確率は兄弟姉妹で4人に1人です16。必ず見つかる訳ではありません。

そこで、次善の策として骨髄バンクから適合するドナーを探し出します。

骨髄バンクには、骨髄提供の意思を表明し、あらかじめHLA型の判明しているボランティアが登録されており、いざと言う時にドナーになってくれるようお願いすることが出来ます。

でも、非血縁者間でHLA型が一致する確率は数万分の1と言われており、骨髄バンクに申し込んだ患者さんの内、実際に移植できるドナーが見つかるのは3人の内1人程度との事です。これはまだまだバンクへの登録者が少ないからです17

幹細胞移植いろいろ

造血系の移植には幾つか種類があります。典型的な骨髄移植はもちろんの事、お母さんと赤ちゃんを結ぶ臍帯にも造血幹細胞が存在する事が判ってからは、臍帯血移植18と言うのも出来る様になりました。

さらに、ドナーから骨髄を取り出さなくても良い末梢血幹細胞移植と言う新しい方法も生まれ、2010年10月に承認されました。

末梢血と言うのは普通に全身を駆け巡っている血液の事です。

幹細胞は普通、骨髄の中にしか居ませんので骨髄移植をする訳ですが、あるクスリを使うと血流に出てくるのです。そのクスリとは、顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)19と言います。

抗ガン剤治療で好中球が少なくなってきた時などに使うおクスリで、サイトカインの一種です。毎日G-CSFを注射し続けて4~5日程経った頃、全血を採取して分離機で幹細胞だけ取り出し、後に残った血液成分を元に戻します。

これなら、成分献血のやり方と全く一緒ですので、骨髄採取にビビッてドナー登録できなかったお父さんにも出来そうだなと感じました。


お父さん解説

  1. さる皇族の方が心臓発作で運び込まれた際、キャンパス周囲の道が全て衛星中継車や報道の車で埋め尽くされた。ヘリコプターもバンバン飛んでいてえらいうるさかった。コレだと何処の病院かばれるな…
  2. 免疫系の細胞達は骨の中(骨髄)で出来る。血液中の血球細胞も起源は全く同じ。だから、血液系の病気で骨髄移植する時は免疫もダメになるので移植が成功するまで[無菌室]で暮らさなければならない
  3. お父さんのメンタリティでは、本人に直接「成功しましたか?」なんて聞けないから
  4. 造血幹細胞:hematopoietic stem cell
  5. 白血病:leukemia
  6. 再生不良性貧血:aplastic anemia
  7. 骨髄異形成症候群:myelo dysplastic syndrome
  8. 先天性免疫不全症候群:congenital immunodeficiency syndrome
  9. 骨髄を取る時に使う注射針は、ボールペンの芯くらいの太さ
  10. レシピエントとは骨髄を受け取ろうとする患者さんの事。レシピエントは命がけだが、ドナーだって大変。ボランティアではあるものの、レシピエントが放射線と抗ガン剤で自分の骨髄を壊してしまった時点で後戻りが出来なくなる訳だから、そこでドナーが「やっぱり、や~めた」と言おうモノならそれは殺人に等しい
  11. 骨髄移植のドナーが主人公となった小説に、高野和明さんの「グレイヴディッガー」がある。移植前にはドナーはカゼの一つもひけない辛さが描かれていた。ドナーとなった八神(主人公)が友人と交換で使っていた部屋の中で死体を発見した事が原因となり、都内で発生していた無差別連続殺人の容疑者として追われる身となる。警察と真犯人の双方から逃げおおせなければ、骨髄移植に間に合わない。 東京中を縦横無尽に逃げまくるハラハラドキドキの物語で、東京の詳細地図とにらめっこしながら一気に読み終えてしまった
  12. その昔、ミュージカル「ミス・サイゴン」の舞台で、その歌唱力と歌への情熱を披露した歌手の本田美奈子さんも骨髄移植を待つ一人でした。
    急性骨髄性白血病にて闘病されていたのですが、抗ガン剤による寛解導入が出来ず、骨髄バンク登録していましたが、最初は適合ドナーが現れなかったそうです。幸いにも、別の幹細胞移植手段である臍帯血移植はできたのですが、再発により2005年に亡くなられました。(涙)。なお、お父さんの家の最寄り駅には彼女のモニュメントが立っている事を本稿の作成中に知りました
  13. 移植片対宿主病:graft-versus-host disease
  14. ヒト白血球抗原:HLA:human leukocyte antigen
  15. HLA は、MHC classII major histocompatibility complex :主要組織適合複合体 の一種です。MHCは免疫細胞が「自己」を見分ける時に使っている分子
  16. 4人に一人:MHC ClassII の遺伝子領域で組換えが発生していない場合は4分の1の確率だが、実際には組換わっているのでもっと確率は低くなる
  17. 2010年7月末には登録者が36万4千人を超えたが、未だに全ての移植希望患者にドナーが見つかる状況では無い
  18. 臍帯血移植:残念な事に臍帯血中の造血幹細胞の数は余り多くない。だから、普通の骨髄移植よりは成功率が低いらしい
  19. 顆粒球コロニー刺激因子:granulocyte colony-stimulating factor:G-CSF
タイトルとURLをコピーしました