錬金術と科学

昔のお話・未来のお話

錬金術1における究極のアイテムは賢者の石とエリクサー2の2つです。

賢者の石はどんな鉱物よりも極めて純粋であるが故に、ほんの僅かの量で鉄や鉛等の卑しい鉱物を貴い鉱物に変容させるパワーを秘めていると考えられていました。ですから錬金術師達は賢者の石をずっと追い求めて来たのです。

またエリクサーは物質などからその精(その物質の持つ性質そのものの事です)を抽出した秘薬の事とされています。もし抽出の対象が生命であれば、生命そのものを得たのと同じだと信じて研究が進められていました3

ここで大事なのは、賢者の石もエリクサーも共に純化によって目的を達成しようとした所にあります。大昔の人々にとって混ざり物の中から純粋な物質を取り出す事は至難の業であり、それが出来ればまさに神の所業と思ったとしても不思議ではないでしょう。

生命の水

2つのアイテム程には名を知られていないのですが、錬金術師達の作る万能薬の中にパナケイアという飲み薬があります。別名を生命の水と言いまして、錬金術師がビールやワインなどの醸造酒からその精を純粋に抽出しようとして得られた物です。

実際には彼らは蒸留4という手段を編み出し、薬効成分であるエチルアルコール5を高濃度に得ると言う事をやってのけたのでした。11世紀頃のお話です。

この抽出物、ラテン語ではアクアヴィタエ(Aqua Vitae)と言います。

北欧ではこれがそのまま蒸留酒を意味するアクアヴィッテ(Aqua-Vitte)となり、ロシア語では生命の水を意味するズィーズナヤヴァダー(Zhiznennia Voda)6の愛称がウォッカ(Vodka)になったとの事。

また、アイルランドでは生命の水を意味する古代ゲール語のウシュクベ(Uisuge-beatha)からUisuebaughi → Uisue → Usky→Whiskyと変化し、ウイスキー7となったのだそうです。

エリクサー

エリクサー(Elixir)、効能効果はズバリ不老不死。

読み方によりエリクサー8、エリクシャー、エリクシール9、イリクサ、エリキシル、エリクシル、エリキシア、エリクサ等と日本語では様々に表記されますが由来は全て同じです。

また、著名なロールプレイングゲームでは魔法力と体力の両方を同時に回復させる定番アイテムとしてとても重要です。

このエリクサー、何と日本薬局方に載っています。

薬局方とは国が定める公的な薬品の規格書の事。薬剤の形(剤型と言います)を定義する部分、すなわち製剤総則にはエリキシル剤として「通例、甘味及び芳香のあるエタノールを含む澄明な液状の内用剤である」と書いてあります。そのまんまリキュールの事ではないですか。驚きました。

スピリッツ

近代科学が目覚しい発展を遂げる19世紀以降まで科学の世界は暗黒であったかと言うとあながちそうとも言い切れません。「科学的」なものの見方・考え方については錬金術10がその役割を果たしていました。

例えば試行の過程で硫酸・硝酸・塩酸・王水など現在の化学薬品の発見の多くがなされましたし、分析技術や実験技術が大幅に進歩しました。そのスピンアウトの一つが蒸留技術です11

蒸留とは混合物を一度蒸発させ後で再び凝縮させて沸点の異なる成分を分離・濃縮する事です。やがてこの技術はヨーロッパの修道院に伝えられる所となりました。

当時、錬金術師達はキリスト教会によって迫害を受けていましたが、出てきた技術までは迫害されていないのは、作ったお酒が修道院の収入源になるからです。

なぜ修道院で酒なんか作るのかと思いますが、キリストは最後の晩餐で「ワインは私の血であり、パンは私の肉体である」と言ったそうでして、修道院でお酒を作る事は神の子キリストの血を作る事と同義、すなわち尊い作業だと言っている訳です12

ついでに言うと蒸留により高濃度に抽出したものはキリストの血をより純粋に取り出した事になるとの解釈。

初期の蒸留装置では、一回々々少量ずつの蒸留を繰り返す事でアルコールを純化していました。やかんに冷却装置をつけただけの様な単式蒸留(ポットスチル)です。

こうして出来た蒸留酒の事をスピリッツと言います。スピリッツ13には魂と言う意味も有りますので、蒸留技術により酒の魂を取り出したのだと誇ったのでしょう14

これが、19世紀になると連続的に高濃度アルコールを蒸留できる連続蒸留器へと発展し、工業的にスピリッツを大量生産できるようになっていきます15

魂が大量生産されるというのも何だか物悲しいね。

リキュール

薬用成分をお酒に溶かし込んで、健康のため、病気の治療のために処方すると言うのは古くから利用されていました。

紀元前に古代ギリシャで医聖と呼ばれたヒポクラテスがワインに薬草を浸して作ったのが、記録のある最も古い薬酒の例だそうです16

錬金術師達は考えました。生命の水(Aqua Vitae)に薬用成分を溶かし込めば生命の水をも凌ぐ素晴らしい飲み物が出来るはずだ、と17

そして、蒸留酒の造り方と同時にこの薬酒の作り方も修道院を通じて広まっていきました。13世紀頃の事です。

偶然では有りますがとても理に適ったやり方です。

薬用成分は植物類から取り出す事が多いのですが、成分は必ずしも水に溶けやすいものばかりではありません。18アルコール濃度の高いスピリッツが使えるようになった事で、より重要な成分を効率よく抽出できるようになり、薬効の高い薬酒が出来上がりました19

この様にスピリッツに薬草の成分を溶かし込んだ薬酒の事をリキュールと言います20。これはラテン語で溶かし込むという意味のリケファケレ(Liquefacere)から命名されました。

その後、14世紀にはヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行した事が有ります21

この時リキュールが効くと信じられ、修道院毎に独自のレシピでリキュールが研究開発されるようになり、17世紀以降になると、味や香りや色の美しい物が持てはやされる様になりました22

でも、大航海時代で貿易が盛んになり、香辛料や砂糖がふんだんに使える様になったために技術的には一気に多様化し、徐々に薬酒としての役割を失っていきます。

現代では、リキュールは液体の宝石とも言われ、色も重要な要素になりました。いつか君たちがカクテルを飲めるようになった時は、元々はお薬23であったのだな~と中世に思いを馳せながら味わってください24

現代の錬金術

現代科学の礎になる様々なな技術や考え方は生み出されたものの、結局の所中世の錬金術が本物の金(元素記号はAuだね)を生み出す事はありませんでした25

化学的な方法で化合はできますけど原子核変換はできませんから。

我々の世界は様々な原子で構成されています。原子は宇宙が生まれた初期には存在せず、星間物質が互いの重力で集まり、内部で核融合した結果として、まず水素やヘリウムなどの軽い原子が出来た後、星が寿命を迎えて超新星爆発し、更に再度の核融合で鉄などの重い原子が出来たと考えられています26

この辺りになってくるとお父さんも何を言っているのだかさっぱりわかりません。

とにかく、原子は絶対の存在ではなく、その姿を核融合や核分裂によって変えることが出来ます。

原子力発電所でウラン235が核分裂した後、イットリウム95 と ヨウ素131と言う別の原子に変わったり、ほんの少しだけプルトニウム239が発生する事が知られていますね。

原理的には人間の手で、ある原子を別の物に変える事ができるという事を示している訳です。

金(Au)は原子番号79でして、それよりちょっとだけ原子量の大きい 原子番号80の水銀(Hg)に超高エネルギーのガンマ線を長時間ぶち当ててやると、一部で核崩壊が起こり金が出来上がると言うのは、『理論的には』十分可能だそうです。

ただ、この方法で1グラムの金を作るのに最低でも数百億円はかかりそうですので誰もやりません27


お父さん解説

  1. 錬金術:Alchemy ← いきなり何を言い出すか、この書き出しで収拾はつくのか
  2. エリクサーは液体の秘薬である。
    賢者の石を「大エリクサー」と呼ぶ一派もいる。そのためたまにエリクサーと混同される事があるが、両者は全くの別物
  3. 抽出する時の生命は何を使ったか?とても気になる
  4. 蒸発させて留めるので「蒸留」か?英語では Still:スチル と言う。
    ここではエタノール:(EtOH)を薬効成分と断言しているところがすごい。
  5. エチルアルコール:分子式はEtOH/つまりはお酒の事
  6. ヴァダーの部分だけ見れば「水」なのでロシア人にとってウォッカは水であるという事
  7. ウイスキーが現在の形になったのは1900年代に入ってから。蒸留酒の歴史はまだまだ浅い
  8. 2009年12月にサントリーが同名の清涼飲料水を発売   すぐに消えた
  9. 資生堂 エリクシール:いきいきした大人の女性美のためのスキンケアとメークアップブランド
  10. 近代物理学の始祖である、かのアイザック・ニュートンだって元々は錬金術師であった
  11. 蒸留技術:やっとライフサイエンスに繋がった
  12. シャンパンを造ったのだってフランス シャンパーニュ地方の修道院である
  13. スピリッツ:Spirits
  14. 今でもポットスチルをかたくなに守る蒸留所がある。ポットスチルの蒸留器も形が変わると微妙に味が変わるそうな
  15. お酒のビンに PATENTED STILL と書かれていた時代がある。産業革命の時代、連続蒸留器は特許(PATENT)を取ったからわざわざ書いて宣伝していた
  16. 最も古い薬酒:おそらく相当まずかったと思う
  17. もともと純粋化を目指して作っていたものなのに今度は何かを混ぜるというのも不思議だ
  18. 大抵の場合薬効成分と言うのは脂溶性が高い。従って高濃度アルコールを使うと抽出効率が上がる理屈
  19. もっと脂溶性が高い場合はエステル系やハロゲン化炭素系の有機溶媒を使って抽出する。お父さんは学生時代に薬効成分の抽出に使う酢酸エチルの香りが大好きだった
  20. リキュール:ラテン語で「液体」を表す
    Liquor :リコーから来たと言う説もある
  21. ペストの大流行:ヨーロッパ全人口の3分の1が死んだ。ペスト菌(Yersinia pestis)はグラム陰性の通性嫌気性細菌。齧歯類が媒介するのでネズミは徹底的に嫌われた。致死率が高く、皮膚が黒くなって死ぬ事から黒死病と呼ばれ恐れられた
  22. 17世紀末、オランダでオレンジ風味のリキュールが生まれ爆発的に売れた。キュラソーと言う
  23. 「元々はクスリ」:であるから薬剤師であるお父さんが解説しても何ら不思議な事ではない
  24. いつか君たちと一緒に飲めるはずだ。その日を楽しみにして今はまだお預け
  25. 懲りずに「錬金術」でまだ引っ張るか
  26. 「愚者の金」を知っているかな。黄鉄鉱の事で英名をパイライト(pyrite)と言う。 化学組成はFeS2で表面が淡い黄金色の金属製の光沢を持ち、キラキラと輝いてなかなかきれいな鉱物。比較的大きな比重で本物の金と間違えるヒトが多かったためこう呼ばれる。お父さんは結晶が何よりも好きだったので正八面体のコレを探しに行ったが見つけた事はない。標本を買ってきて満足していた
  27. 今回の隠れテーマは科学の歴史だった
タイトルとURLをコピーしました